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「寄付ネット」がめざすこと
個人による寄付は、東日本大震災を契機として徐々に伸びてきていましたが、震災の記憶が少しずつ薄れてゆく中で、それに歩調を合わせて最近はその伸びが鈍化してきています。また個人による寄付の総額は、米国の5分の1、英国の半分ほどでしかありません。企業(法人)による寄付は、個人によるものよりは活発ですが、それでも総額で米国の3分の1、英国の7割ほどでしかありません。日本は、米国、英国とともに「先進国」と呼ばれながらも、「寄付」の分野ではまだ「発展途上国」です。
一方で、社会の中には市場原理だけでは運営の難しい組織、団体が多数あり、個人や法人の厚意にもとづく寄付を強く必要としています。大学や高等学校などの学校は、一見大きな組織に見えますが、国や自治体からの補助金もカットされ、かといって厳しい経済情勢の中で安易に学費を値上げすることもできず、今後は同窓のみならず広く一般からの寄付を求めることが必須の条件となってきています。ましてや小規模な児童福祉施設などは、社会の目に触れる機会も少なく、寄付を求める以前に、その存在を知ってもらうことすら難しい状況です。また奨学金を支給する各種の育英会、文化の醸成、芸術の支援、自然保護などを目指すさまざまな団体、あるいはスポーツ関連の団体・リーグなど、個人や法人からの寄付なくしては、その存続が危ぶまれる組織、団体が多数あります。
「日本には寄付の文化がない」、「日本では寄付の文化が育ちにくい」とよく言われます。本当にそうなのでしょうか?阪神淡路大震災や東日本大震災のときに、老若男女を問わず数多くのボランティアの人たちが現地に入り汗を流しました。そして金額の多寡を問わず多くの人たちがメディアや街頭での呼びかけに応えて寄付を行いました。このことからも明らかなように、日本には、人のために無償で労力を提供し、人のために対価を求めず寄付をなす、暖かく気高い心があふれるほど潤沢にあるのです。
それでもしかし、なかなか寄付がかたちとして見えてこない、実際の金額として積まれてこない理由は、おそらくそのような「暖かく気高い心」をその思いのままに、ただちに「かたち」に変えてしまえる、「橋渡し」の役目を果たす仕組みが整備されていないからでしょう。たとえば好みの商品を選んでクリックすれば翌日その商品が届くネット通販のように、あるいはいつでも思い立ったときに立ち寄れば欲しい商品が手に入る街中のコンビニのように、いつでも思い立ったときに、自分の願いを届けたい先に届けて、その願いをカタチにしてくれる仕組みがあれば、日本の寄付はもっと大きく強く伸びていくはずです。
あなたの「願い」を「カタチ」に変える、あなたの「思い」で「社会」を変える、その「橋渡し」の役目を果たすのが「寄付ネット」です。「寄付ネット」は、日本の新たな寄付文化を創ります。